生きる、ということ
「別にもう少し先でも良かったのに」。
母は会う度にそう言う。4月に社会人になった私は、翌月5月の末、飛び出すように家を出た。
慣れない生活、勝手に減っていくお金、全てがストレスだ。実家に暮らしながら、入ってくる給料をドブに捨てるような遊び方をしている人たちを横目に、吐き気がする。でも、それでも笑顔で時間を過ごせているその人たちが羨ましくなるほど、切羽詰まっているのも事実。心で舌打ちしながら、いつからこんなに僻むようになってしまったのだろうと、自分に失望してしまう。
ちょうど一年前、私は軽度うつ病になった。毎日泣き喚いては、不眠状態が続き、日中は起き上がれないほどしんどかった。その中のひとつの原因として、母へ反抗してしまう自分というものがあった。
常に反抗期で何を言われても怒ってしまっていたし、方耳が聞こえない母に対して、イライラしたら少し小さい声で暴言を吐いていた。お酒に酔うと母は「あんたは私の事なんて考えてない」といつも言う。「あんたなんて産まなきゃよかった」とまで言われたこともある。それが辛かった。本当は心の底から感謝していたし、素直になりたかったのに。好きなのに、当たってしまうのが嫌だった。今更素直になれない自分が嫌で、このままでは「自分が壊れてしまう」とさえ思った。だから、私は家を出たのだ。
数日前、母が糖尿病になったと連絡が来た。
すぐに電話をかけたが、バレない程度に泣いてしまっていた。本当にこれで良かったのだろうか。毎日思う。「ご飯の作りがいがないわ」と、少し寂しそうに笑う母を思い出して、苦しくなる。生きていく上で、最適な道を選びたかっただけなのに、わからない。
毎日お弁当を作ったり、洗濯したり、今月の通帳の残高を見るたびに、親に守られていたという事実が押し寄せる。そして同時に、それでも生きていかなくちゃいけないんだと気付かされる。もう後戻りは出来ない。軽い諦めを繰り返しながら、正しい道を自分で作っていくしかないのだ。